村上宏治・蓼原由美子−共同作品展−は終了いたしました。
村上宏治・蓼原由美子共同作品展 和を愛でる
−ご挨拶−
 尾道に着物文化をもう一度・・・ 日本人が日本の文化を忘れてはいけない・・・ 無くしてしまったら、もうもとには戻らない・・・ 祖母が着たものを、娘から孫へと繋げていくことの出来る着物。 ものを大切にする気持ち・・・・・・
 
忘れたくない。 尾道の路地を、着物を着て散策してもらいたい。 尾道で、京都では味わえない風情と情緒を味わってもらいたい。
 
テーマを『和を愛でる』とし、“家族の絆”と“和の美”をご紹介できたらと、そんな想いがシンクロし、この度の合作展となりました。
きもの着付け教室 檸檬家 主宰・蓼原由美子  写真家・村上宏治

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村上宏治・蓼原由美子−共同作品展−
−着物の更衣(ころもがえ)について−
 更衣(ころもがえ)の習慣は平安時代から始まったそうです。中国から伝わりその頃は旧10月1日と4月1日に行われていたとか・・・・
 更衣といって思い浮かぶのは、あの「源氏物語」の主人公、光源氏の母・桐壺の更衣・・・・ いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに・・・・
 
更衣というものはもともと天皇のお着替えを取り扱う女官の役職名でした。この役職名としきたの更衣を分けるために更衣はいつのまにか衣替えと言われるようになったようです。それから後、衣替えは庶民の間にも広がっていき、江戸時代には幕府によって1年に4回の衣替えが定められました。
 明治時代になると、西洋文化が入り洋服を着る人が増え政府が6月1日を夏の、10月1日を冬の衣替えと改めました。今でも制服を着るところの多くが6月1日と10月1日を「衣替えの日」としています。
 昔の大阪の商家では着物は4月1日から「袷」、6月1日から「単」、7月1日から「薄物」、9月1日から「単」、10月1日から「袷」、11月1日から「綿入れ」、と言うようにかなり細かく決められていたようです。このしきたりを間違えようものなら、もの知らずと笑われ、嫁ぎ先から離縁された御寮人さんもいらっしゃったとか。現在はそこまで厳しくなく衣替えは10月1日から明くる5月末までが袷の着物、6月と9月が透けない単、7月とお8月が透ける薄物となっています。気候も昔とは変わり6月、9月でも30度を超える日もあり10日前後は幅を持たせてもいいとも言われています。正しいことを知った上で、着ていく場所さえきちんと選べば、普段は、少し位の自由はかまわないのかもしれません。ただ季節先取りと言われる着物の世界、素材だけでなく色や柄でもやはり一足早い季節感を楽しみたいものです。
蓼原 由美子

−プロフィール−
蓼原由美子(たではらゆみこ)

尾道市瀬戸田町出身
全日本着装コンサルタント協会認定・全日本着装審査委員会認定(助教授補/高等師範/帯専科着装師)・花裳会認定・トップリーダー・きものと着付けのトータルプランナー指導講師・ふろしき研究会会員
京都着物学院で高等専科修了後、全日本着装コンサルタント協会認定のきもの学院花裳会等で講師資格を修得。
学院派遣の出張講師を経て2004年に退職。2006年より尾道と瀬戸田に着付け教室「檸檬家」を主宰。
小さい頃から着物を着るのが好きでしたが、本格的に着付けを習い始めようと思ったきっかけは、自分の手で我が子に振り袖を着せてやりたいと思った為。習えば習うほど着物の魅力に魅せられてとうとう着付けの講師になってしまいました。昔は、おばあちゃんやお母さんから教わり自然に着物を着られたものでした。自分で着られる方も、また、人に着せることができる方も少なくなった今、着付けや着物のすばらしさをお伝えすっる事で、少しでも家族のふれあいのお手伝いをさせて頂ければと思っています。


村上宏治(ムラカミコウジ)

1959年8月12日
広島県御調郡向島町出身
広島県立尾道商業卒業
東京麻布秋山スタジオ弟子入
印刷会社、写真部入社
村上写真事務所開設
料理雑誌・食品パッケージ・ポスター等料理を中心に活動開始
自動車メーカー及びタイヤメーカーと契約、イメージカット担当
1988年尾道へ帰郷
1989年尾道にエンジンルーム村上を開設
美術館を中心に広告写真活動開始
マリンスポーツ財団より依頼、ヨットレース、パワーボートレース撮影開始
ライフワークとして仏教美術を選択瀬戸内海の仏教文化と歴史、自然と空間をテーマに取材開始。
子供に向けた発信を摸作ゴッホCD-ROMの開発の為調査開始・同時に独自のホームページを開設
通産省マルチメディア進行財団採択決定ロムの開発着手
ゴッホCD-ROM完成。 
継続し子供たちへの発信の為活動中。
瀬戸内の無人島にてパフォーマンス展覧会豊島胎内回帰を開催 来場者:750名
西国寺、『西国寺之寺宝』を出版
広島本通り 広島ガスギャラリーLIPにて『分水嶺』を開催。
学校法人山中学園と子どもたちへのコンテンツ発信と自己表現を目的に連携。
JaJaの写真館開設
食の展覧会『一膳粗食』開催
尾道・浄土寺密着取材完了、秘仏の撮影終了。
瀬戸内海の風景シリーズ『知の牙城』発表
尾道市立美術館にて『龍の國』展覧会を開催
浄土寺、『国宝の寺 浄土寺』を出版
中国新聞『素食の旅』連載 第41話完結
広島ガス広報誌、エッセイ『空ふく風』連載中
広島ガス、ガスのある暮らし連載中
京都、建仁寺八百年祭コラボレーション開始
ベルリンフィルハーモニー指揮者 アンドレ・バウアーとジョイントする。
広島アーバンビューグランドタワーGプロジェクト撮影敢行。
尾道大学芸術学部非常勤講師
尾道浄土寺『源氏の大茶会』をプロデュースする。
尾道社団法人さつき会とのジョイントで、アレルギー対応食品を開発・製造。
表現者達をテーマに独自の密着取材を敢行。
しまなみ大学芸術コンクール、
平山郁夫画伯主催の写真部門の審査委員長となる。

−紋付と袴−
紋付と袴を卒業式に着てみては、と蓼原先生からの勧めがあった。私も卒業式の記念にと尾道大学の学生に勧めた。宝塚歌劇団を思いだし、おおよそのイメージはあった。18歳、大学1年生の時に研修生として知り合った学生だった。いつもはしゃいでいた22歳の大学生が、いつの間にやら大人に見えた。あでやかな振袖も素敵だが、やはり黒は凛と見えます。(村上)
 振袖の始まりは江戸時代の初期からだったとか・・・・
“長いものには神宿る”との思想と、娘の良縁を願う親の想いから、未婚の女性の着物の袖が段々と長くなったとも言われています。(蓼原)
 松の葉は、年中緑を保つので気持ちが変わらない。枯れて落ちても二つがくっついているので、夫婦円満の意味があるといわれているとか。縁起物の翁の爺婆が笹箒と熊手で掃いているのが松の葉・・・おまえ百(掃く)まで わしゃ九十九まで(熊手)それで結納セットについているとか。翁は松の精で、縁結びの神様と聞いたような気がします。(蓼原)
 着物には日本らしい特長のある色の名が用いられています。それら着物特有の色は、日本の伝統色ともいわれ、200から300種あるといわれています。この内、半数ほどに植物の名がつけられています。そしてその色の組み合わせを“襲の色目(かさねのいろめ)”と呼びます。平安時代、当時の絹は非常に薄く裏地の色が表によく透けるため、独特の美しい色調が現れ、それを愛でるのも風情でした。(村上)  風呂敷は、その名の通り風呂で敷いて使われたことが始まりと言われています。現在でも家紋入りの風呂敷をよく見かけますよね。風呂敷に家紋を付けるようになったのは、室町時代の将軍・足利義満が建てた大湯殿に招かれた大名が、着物の脱ぎ着の際、他の人のものと間違えないようにする為だと言われています。風呂に敷く布で脱いだ衣服を包み持ち運びしたことから、風呂敷の役割を果たすものになりました。明治時代以降には、広く庶民の間にも普及し、結納などで使われたりと日本人の生活になくてはならない存在になりました。ところが外国からカバンが輸入されるようになったり、昭和40年代になるとナイロンの風呂敷やポリ袋、紙袋も作られ、しだいに昔ながらの風呂敷は姿を消して行ったのです。そして今、ゴミ問題や環境汚染が問題となっている中、人々のエコ意識が高まり、昔ながらの風呂敷が見直されてきています。
 親の願いがこもった着物、祖母から母に、そして娘へと受け継がれる着物。そこには大切な願いがあるのです。実家の納屋の二階に古い衣装箱がありました。開けてみると古い着物が何枚も・・・・母は戦前、大阪で生まれ育ったのですが、昭和20年の大阪の大空襲で何もかも焼かれて無一文になり祖母の実家を頼って生口島に疎開してきたんだそうです。衣裳箱の着物は、嫁ぐ母の為に、祖母がお米を抱えては遠方まで足を運んで替えてきた物でした。その中の一枚を持ち帰り私の娘に着せてみました。「そうそう、これはねぇ・・・私の姉さんの着物でね。これだけは焼けずに残ってたんよ。銘仙の中でもいい着物でね、横そ言うてねぇ・・・」母は懐かしそうにいつまでも娘の写真を見つめていました・・・(蓼原)

 家族っていいですね。あつらえた着物を御先祖様に見てもらう。着物を着る。手を合わす。家族で写真を撮る。この一枚の写真の重さは、やがて主人公だった彼女が母になるときでしょう。家族・・・・その絆は深い物だと・・・・いつもファインダーを覗きながら心が熱くなります。(村上)

帯〆について−
 
江戸初期頃まで、半幅帯を結ぶのが一般的でしたが、それ以降から、遊郭の人達が、おしゃれを競い合い、帯の幅を広くしていきました。広幅の帯が結ばれるようになった江戸末期に、芸者さんが帯広をいろいろ工夫していく中で、帯をとめるために帯揚げ、帯〆が作られるようになりました。それらは着物や帯の引き立て役のようですが、着物には無くてはならないもの。この小物一つで着物や帯のイメージ、顔映りまでもがぜんぜん違ってきます。着物の着こなしポイントに色合わせがありますが、難しく考えることはありません。私たちの身の回りにある四季の色を合わせてみてください。春で思い浮かべてみると、「春は桜のピンク」、「夏は山の緑」、「秋は栗の茶色」、「冬はナンテンの赤」・・・たくさんありますね!そおの時々の色を使えばいろんな組み合わせで着こなしを楽しめます。顔映りがぜんぜん違ってきます。(蓼原)
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